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Tのプロフィール・運営者情報

皆さん初めまして。

星の数ほどあるブログの中からようこそ本ブログにおいでくださいました。

このブログは「筋トレを通じて得た知識や経験を世に普及する」ことを目的として、2019年8月に立ち上げられました。

今日まで数百の記事を公開してきていますが、同時に多くの方に読んで頂き支えられここまで来ることができました。

この場を借りて感謝申し上げます。

 

簡単にまとめた運営者情報

Tのプロフィール・運営者情報

中国地方の山奥で両親公務員の家庭に爆誕。

小学時代からバスケを始め、中高大と全国大会を経験。

進学した大学ではスポーツ科学およびトレーニング学(トレーナー論)を専攻。

保健体育教員免許取得後、東京大学大学院に進学し、運動生理学および健康科学を深める。

博士課程在学中にスポーツ医科クリニックに勤務しながら国民の健康増進を図る研究を推進。

現在は大学教員に活躍の場を移し、研究活動を継続中。

バスケットボールにおいては、今日まで社会人リーグに参戦中。

その他にもバスケットボールクリニックのコーチやトレーナーなどとしても活動中。

大手サプリメント会社でのライター業や本ブログを通じて、間違った健康法・ダイエット法の流布を是正したく記事の執筆を行っている。

【最終学歴】東京大学大学院 博士課程修了

【前職】スポーツ医科クリニック職員

【現職】大学教員

【執筆活動】書籍2冊、論文5報(筆頭4報)

【所属学会】アメリカスポーツ医学会他

【その他】ライター業、トレーナー業、コーチ業

 

運営者の経歴〜小学1年〜中学3年〜

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運営者"T"のコトについてちょっとだけ紹介します。

1990年、中国地方の山の中で生まれました。

小学校時代はとにかく肥満児で、「痩せさせなきゃ」という親の危機感をひしひしと感じながら過ごしていました。

そんな肥満児”T”が小学生時代に最も憧れたスポーツ選手はイチロー選手。

そして将来の夢はプロ野球選手。

初めて買って貰ったスポーツグッズは野球グローブ(今でも大切に持っています)だったことからも、小学生になったらソフトボールクラブに入ることを誰も疑っていませんでした。

しかし、そんな私を襲った「肥満」という事実。

それもそのはず、おばあちゃん達はたくさん食べると褒める生き物なんですもの。

そんなおばあちゃん達を喜ばせるために食べていたと言っても過言ではありません。(ウソつけ)

ソフトボールじゃ痩せないからどうしたものか、と思慮を巡らした結果、地区にできたばかりのミニバスケットボールクラブへ体験入会することが親同士の話で決まっていました。(このとき誰もバスケで日本一になるなんて思ってもいませんでした)

初めて行ったバスケットボールクラブ。

てかバスケットボールってなに?

そんな状態でであったバスケットボールでしたが、そこから半年間ほど入部を渋っていたのを覚えています。

野球への情熱が凄まじかったんですよね。

当時小学校って水曜日が午前中で終わるので昼から遊べるんです。

そんなときはいつも限って公園で野球していました。

ホントに毎週です。

小学校6年生まで続きましたね。

よく飽きなかったなと今でも思います。

さて、そんなこんなで体験入部から半年を経てようやくミニバスケットボールクラブに正式入部することとなりました。

ここから私のバスケットボール人生が始まります。

バスケットボールを始める前の私は、決して運動能力が悪い方ではありませんでした。

それでも、水泳を習っている同級生に持久走で勝てなくて泣いたり、徒競走でソフトボールクラブの同級生に負けたりと今でも相当悔しかったこととを記憶しています。

しかしです。

バスケットボールを始めてからと言うもの、運動能力がメキメキと向上していきました。

運動会のリレー選手は小学校1年から連続して選出され(人数が少なかったのもある)、持久走大会も小3からずっと2位をキープしました。(1位の友達は早すぎて引きました。)

小4からは学校のスポーツテストは総合1位。

バスケを始めて運動能力の向上に相関するようにクラスの女子からもモテたことも今となっては良い思い出です。

中学校はそのまま地元のヤンキー中学校に進学しました。

部活は迷うこともなくバスケ部を選択。

本格的にバスケにのめり込んでいく生活へと切り替わっていきました。

というのも、歳の近い兄がいたことも影響しています。

兄もバスケットを同じくらいやっていて、弱小バスケ部だったチームを仲間達と県大会上位まで押し上げていました。

またその功績が評価され県選抜にも選出されたことが、私のバスケットボール人生の転機とも言えます。

学校で表彰される兄、兄のことを知っている先生にすぐに覚えられる弟の私、全て兄が比較対象となってつきまとっていました。

そんな兄を超えるには、私も県選抜へ入るしかありません。

練習への取り組みは学校一ストイックに。

休みの日は近所の神社で階段ダッシュを何往復もしましたし、父親に習って筋トレまがいのことを始めたのもちょうどこの頃からでした。

家の庭にあるバスケットゴールでボールが見えなくなるまでシューディングしていたことも鮮明に覚えています。

架空のチームを作ってイメージの中で対戦していました。

そんな影の努力もあってか、中2の冬に県選抜へ選出され、年度末の全国大会へと出酢乗することができました。

初めて目にする全国大会。

結果は一勝一敗で予選敗退。

念願の予選リーグ突破とはいきませんでしたが、ココまでの経験はとてつもない財産となりました。

 

運営者の経歴〜高校生〜

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私には人生で最も勉強しつくした時期が2つあります。

1つ目は高校受験。

私の目指した高校は県下No.1の進学校。

それでいながらにして、バスケットボールも全国レベル。

(まだこの頃の地方は、私学の台頭がなく公立学校が上位を独占していました)

そんな魅力的な学校、どこを探してもありません。

中3の10月から本格的に塾へ通い始めました。

というのも当時の私の成績は学年トップ10には常に入っていました(学年150名くらい)が、志望校へ入学するためにはまだまだ安全圏ではなかったのです。

たった4ヶ月間ですが、塾へ通い始めて成績がずば抜けて向上しましたね。

1日最大8時間は勉強していました。

勉強と言っても日本全国の過去問を徹底して解きまくるだけ。

最終的には1科目20分で解き終わるくらいまでに解答スピードと解答力が上がっていました。

そんな苦労を経て入学した、県下No.1の進学校。

とてつもなく勉強が大変でした。

決して付いて行けないわけではありませんでしたが、部活との両立が厳しすぎました。

実家から通える距離の学校ではなかったため、高校生から下宿生活でした。

高校時代の記憶は「とにかく練習がキツい」。。

それで埋め尽くされています。

しかしその分、全国大会(インターハイ・ウィンターカップ)にも出場できましたし、国体選手にも選んで頂きました。

ただやはり、トレーニングのイロハや栄養学の考え方などは、当時の体育の先生に教えて貰ってはいましたが、決して最新でもなく、その多くが経験に基づくものでした。

今思えばですが、地方と都心部での情報量の差は競技力に直結していたのかとも思います。

さてそんな県下No.1の進学校に在籍しながらバスケットボールも全国レベルを目指す、「文武両道」を地で行く学校も卒業にさしかかり、進路選択を迫られました。

恵まれた体格でもない私はそれでも大学でバスケットボールを続けることを決意します。

国立大学の体育学部(ほぼ1校に絞られますが)か私立上位のスポーツ科学部か。

受験で入学することも考えましたが、高3の12月クリスマスに行われるウィンターカップに出場するため、受験勉強を断念し、指定校推薦で体育学部に進学しました。

※指定校推薦・・・面接だけで入学できる推薦入試。高校で一定以上の成績を残していないと校内選考ではじかれる。

 

運営者の経歴〜大学1年生〜3年生〜

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大学では体育学部のある私立大学に進学しました。

というのもこの頃の私の夢は「トレーナー」。

バスケットボール選手としての活動は大学までにして、その先は選手を支える方側に回りたいと思っていました。

全国から有望な選手が集まる体育大学(厳密には総合大学です)の部活は、どの部活も超ハイレベル。

最も印象的だったのが,授業や同じクラスにオリンピアンが普通にいること。

非日常空間でしたが、その中で結果を出さなければヤラレルという焦燥感もまた感じていました。

大学1年〜2年の冬までは特に苦労しました。

私以外の選手はみなスポーツ推薦で入部した選手、その一方私は指定校推薦。

簡潔に言えば、コーチが目をかけて選んだ選手か、勝手に入ってきた選手かの違いです。

私は後者。

コーチに見向きにされない期間がしばらく続いたときは「何でこの大学に来たんだろう」と自問自答していました。

転機が訪れたのは大学3年生に上がる春でした。

体格では全国レベルの仲間達に太刀打ちできる訳がないので、何か武器を作ろうと画策してた時期でした。

そして見つけたのが元々好きだった「シュート」と「ディフェンス」、さらには「屈強なフィジカル」です。

今でこそ3Dと表現される選手に、そのとき私は知らずのウチに志していました。

※3D・・・3Pとディフェンスを徹底した選手。またそのスペシャリスト。

そんなこんなでシュート練習はチーム内の誰よりもしたし、チームで行う筋トレも人一倍気合い入れてやってましたね。

当時チームにいた学生トレーナーも相当やりづらかったことでしょう。

トレーナーより勉強してくる選手がいるわけですから。

しかも将来はトレーナー志望。

やりづらいですよね、学生トレーナーは。

(当時は生意気でスミマセンでした。)

また大学3年生から入ったゼミも大きく影響しています。

今でも親交の深い研究室ですが、まさに「アスレティックトレーナー」のゼミに入ることが出来ました。

これも転機の1つでした。

トレーナーの先生と間近で話せる環境にこれまで恵まれなかったので、全てが新鮮でした。

またゼミで習ったことを部活にも存分に活かしました。

「自分で自分の体のトレーナーになれたら最強じゃね?」

この考えは今でも指導する学生達に問うています。

またこのときほど自分の体に向き合ったことはありません。

結果として、大学3年生の秋にはスタメンとして使って貰うことも増え、4年時には完全に定着しました。

そのときのコーチの言葉を私は今でも忘れません。

「お前が思いきって打ったシュートが外れても、俺は心中できる。」 

影ながら努力する姿を評価する名将の言葉です。

これを言われて奮い立たない戦士はいないでしょう。

もちろん自分にとっては練習後のワークアウトはルーティンと化していたし、トレーニングを頑張ることは当たり前と思っていたので、「努力」なんてしている自覚はありません。

人生史上最も自分の体と向き合い、バスケに捧げた人生は、全国大会の1回戦で強豪大学に敗れ幕を閉じました。

 

運営者の経歴〜大学4年生〜

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大学バスケが集大成を迎えようとする4年の春。

進路について本気で悩んでいました。

春休み中にプロチームとの練習試合を多くこなし、ある程度プロでもやれるかなとも思っていました。

しかし、当時のバスケのプロはまだまだそれだけでは食っていけないレベルだと聞かされていたのでそこまで憧れた職業ではありませんでした。

そんなとき、トレーニング演習の授業でお世話になっていた先生と話していると「俺の出身、東大だよ」と聞かされ驚愕したのを覚えています。

その後、ゼミの先生に大学院について聞き、「東大の大学院はいいと思う。一度見学してみな。」と、トントンと話が進んでいき、秋のリーグ戦が始まる直前に東大の先生を紹介して貰い、研究室訪問をしに東大に行きました。

初めて降り立った東大のキャンパス。

いまでもその高揚感は覚えています。

「来年はココで華のキャンパスライフを送ってやるんだ・・・」

そう思いを胸に秘めて研究室見学を終え、一人暮らしのアパートへ戻って行きました。

東大の大学院入試は8月末に行われます。

あの夏は特に暑く、連日猛暑日が続きゲリラ豪雨が言葉として世に浸透し始めた頃でした。

その当時のは私は大学4年となり、バスケットボール人生の集大成を迎えようとしていました。

大学のリーグは9月から11月。

インカレが11月末。

ここまでが私の学生バスケットボール人生の最終スケジュールでした。

チームは秋のリーグ戦に向け、夏休みに入ってから2部練習(午前・午後)が連日のように組まれ、チーム個人共に上り調子を迎えていました。

そんな大学4年の部活に打ち込む時期が訪れると共に、大学院入試も近づいてきます。

練習前の1時間。

練習が終わってバイトから帰って1時間。

私に残された時間はわずかでした。

それでもできる限りの準備はして入試の日を迎えました。

ちなみに東大の大学院入試は英語(TOEFL)と専門科目の2科目で構成されており、対策さえすれば誰でもチャンスはあるような試験です。

ただ、1つ障壁があるとすれば周りの受験者のレベルが格段に高いこと。

私が志望していた研究科は、私のように他大学から受験する学生が非常に多いコトが有名な研究科として有名でした。

巷では「学歴ロンダリング」するなら最も適した研究科とも言われていました。

そんなことを言われているにもかかわらず、私が志望した研究科の系は東大の大学院入試の中で英語の平均点が最も高いという特色も持っていました。

つまり、学内外から受験する学生のレベルが東大の中で最も高い、そうとも取れるわけです。

そんなことは受験が終わった後に知った事実です。

かくいう私は、受験会場の左奥隅に配置され、英語と専門科目の回答に当たっていました。

ただココで問題が。

その会場、リスニングの音声が流れるスピーカーが教室の中央のみ。

私の左耳はセミの鳴き声で作用不可。

リスニングが始まった瞬間、確信しました。

「来年頑張ろう・・・。」

結果はいわずもがなでした。

受験を終えた私は、バスケットボール人生を締めくくるために切り替えました。

バスケでは後悔したくない。

大学4年間をバスケ漬けで過ごした、その集大成を迎える覚悟を持って挑みました。

秋季リーグは予選通過ギリギリの3位。

インカレの出場権を獲得と共に、自信のパフォーマンスも大学生活最高で締めくくることができました。

そして最後の調整をして迎えたインカレ。

強豪大学との一戦。

結果は惨敗。

ただ試合終了後、対戦相手にいた地元の後輩に言われた一言で涙腺が崩壊しました。

「4年間頑張ってきて良かった。」

ロッカールームではワンワン泣いたのを覚えています。

試合の内容は散々たるものだったので、コーチが激怒してチームの中心だった2年生3年生を叱咤していたことも鮮明に覚えています。

また会場には小さい頃ずっとライバルであり憧れでもあった兄が見に来てくれていて、それもまた止まらぬ涙の原因でした。

こうして私の4年間は終わりをつげ、チームは解散。

同級生の4年生はそれぞれの道に進みました。

引退後からは卒論にのめり込むことになります。

「大学院に行く」とゼミの先生に宣言してたのもあり、本気で添削してくれました。

本気で勉学に努めたのは久方ぶりでした。

こちらも無事修めることができ、体育学の学士の称号をこの手にし、東大再受験へ向け準備をし始めるのでした。

 

運営者の経歴〜浪人生活〜

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人生で初めての浪人生活。

東京で一人、孤独との戦いでもありました。

親に頼み込んで「東大は1年の時間を費やしても行く価値がある」そう説得して、無理して始めた浪人生活。

まずは生活に慣れることからでした。

経済的な基盤もない浪人生活はただただ不安で、浪人生活開始後2週間ほど家に閉じこもってゲーム三昧でした。

これではまずいと思っていた矢先、私を家から連れ出してくれたのは現役東大生であり同郷のバスケ友達でした。

その彼とは同じ年に大学院を受験する受験仲間でもあり、バスケも一緒にできるメンター的存在でした。

彼に連れて行ってもらったバスケが、天下の東大医学部のバスケ部、通称:鉄門バスケ部です。

お世辞にも上手とは言えない選手達ですが、目の色を輝かせてボールを追いかける姿を見て奮い立たされたコトを今でも思い出します。

その後、鉄門バスケ部とは大学院入学後から現在までずっと練習の相手をするほどに入り浸っています。

東大医学部の学生達が東大医学部の学生たる所以を目の当たりにして以降、人が変わったように勉強に励むようになります。

大学に研究生として通い始め、ゼミへの参加や、大学院の授業の聴講。

そして図書館のエンドレス利用。

開館8:30から閉館の21時まで平気で勉強していました。

というのも、その時点で4月半ば。

次の大学院入試は8月末。

実質私に残された時間は4ヶ月でした。

この4ヶ月をいかようにするも全て私次第。

普段は駒場キャンパスの図書館でひたすら英文法と運動生理学20講のまとめ。

時に気分を変えるため、本郷キャンパスの総合図書館へ行き、先述した受験仲間と共に合同勉強。

少なくとも1日12時間は誇張なく勉強していましたね。

移動中はリスニングの練習のために聞きながら口ずさみ。

食事中は単語帳をひたすら眺める。(単語は眺めるだけが最適です。)

このときの勉強法をまとめた記事がこちらです。

四六時中勉強と向き合ってました。

これが人生2回目の猛勉強期間でした。

結果は大成功。

リスニングの問題も昨年度の失敗はなく(教室もよかった)、記述問題も滞りなく解答することができました。

そして昨年度呼ばれることがなかった面接試験でも十分に教授陣を笑わすことができました。

こうして、一度は自死を考えたほど苦しかった浪人生活ではありますが、蓄えた体力と親の経済的支援、そして受験仲間みなに支えられ、東大のキャンパスを正式にくぐることを赦されたのです。

 

運営者の経歴〜大学院生〜修士2年〜

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正式に東大生となって、本格的に研究生活をスタートした修士1年。

当初は漠然と「筋肉を強く大きくするコトを学びたい」というくらいにしか考えていなかったのですが、研究ってそんなに甘い物じゃないんですよね。

1つの研究で一般人が疑問に思っていることを解決しようなんて無理です。

数十から数百の研究成果が集まって初めて1つの真実が明らかになる、そんなイメージです。

だから「筋肉を強くしたい」という疑問を解決するための研究デザインは正直立てられません。

様々なアプローチがある中で、未だに明らかになっていない一部分を明らかにする。

そしてその成果を自分、もしくは世界の誰かに活かして次のSTEPに進んで貰う、そういう流れがあるんですよね。

というわけで研究テーマの決定にあたり紆余曲折もありながら「プロテイン摂取における筋タンパク質合成の機序の解明」ということで研究生活がスタートしたのでした。

「機序の解明」と言ってるくらいなのでヒトを対象とした研究はかなりの制限が生まれます。

したがって、まずは動物モデルの作成に取りかかりました。

扱うのは実験動物(ネズミ)です。

もちろんこれまで動物実験なんて経験はなく、初めて見る風景や研究手法、そして聞き慣れない専門用語。

慣れるまでに半年は余裕でかかりました。

ただこのときの経験は後にも先にも貴重な経験だったと思い知らされます。

そもそも、動物実験のスペシャリストはやはり生物系や医学系に多いものですが、体育スポーツの分野に於いても。その機序・メカニズムの解明をしている研究グループは動物実験が主流です。

そのうえ、疾患モデルやノックアウトモデルなどヒトを対象には到底できないような研究デザインを構築することができます。

その研究成果は医学系や薬学系へ引用され、医療の進歩の礎になることが期待されます。

そんな研究分野に片脚をツッコんだだけでも、とても良い経験だった、そう思えるわけです。

 

運営者の経歴〜大学院生〜博士課程4年間〜

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紆余曲折、試行錯誤を繰り返してなんとか修士論文を形にし、修士号を取得するに至りました。

その頃の私はこのまま博士課程に行って動物実験を続けるものと思っていました。

そんな時。

「クリニックに就職しないか?」とボスからの提案。

それもそのはず。

定年(退官)まで残り4年となっていたボス。

店じまいを既に開始しており、なるべく博士に進学する学生を調整したかったとのこと。

東大にわざわざ来て、就職するのもアリですが(どうせなら大企業に行きたいが)たった2年間の業績で「やりきった」と思うことは1つもありませんでした。

「論文かけるなら(博士取れるなら)行きます」とボスに返事することは難しくはありませんでした。

そうして始まった社会人博士生活。

スポーツクリニックなのでデータはたくさん蓄積されているという状態。

しかし、修士の2年間は動物実験に粉骨砕身していたので、ヒトのデータを扱うコトについてはホンモノの素人。

さてどうしたものかと。

進学するにあたり、そもそも社会人博士は博士号取得率が極めて低いことで有名です。

それもそのはず。

仕事しながら研究して博士論文を書き上げるなんて、正直並大抵の努力ではたどり着けません。

(博士論文や原著論文がハードル高すぎるんです。)

ということもあって、ボスからは「長期履修にすれば?」と提案頂き、本来なら3年間で済むところを4年間在籍することになりました。

この長期履修という制度は、留年とは違い、進学の時点で「4年間」通うコトを申告するので払う学費は「3年間分」でいいんです。

一方の留年は、留年した分の学費を追加で支払う必要があります。

したがって、「3年じゃ学位取れる気がしない」という人は、事務と相談しながら長期履修という制度を利用することも考えてみましょう。

というわけで、4年間の博士課程生活は、まずはヒトを対象とした研究に慣れることから始まったのです。

当方が勤めたスポーツクリニックは、地域の予防医学センターとしての機能も兼ね備えており、健康診断も合わせて行っていました。

センターが開設されて30数年、蓄積されているデータは数十万件に登る、一大拠点であったことに気づいたのはもっと後の話。

苦労しながらデータの解析を進め、持久力が脂質異常症発症に重要な役割を持つことを見出し、国際誌に投稿。

そして博士論文を執筆し無事、4年間で学位を取得することに成功しました。

そんな東大の博士課程在籍中の話。

東大に入学してから再開したバスケですが、医学部やバスケ部のOB達と即席チームを作り区民大会に参加する程度の活動を続けていました。

と同時に、修士1年から一貫して中高一貫校のバスケ部のトレーナーもしていました。

大学時代にトレーナーのゼミに入っていたことに加え、自身の身体に真剣に向き合った経験がココで最大限に活きました。

大学で専門的に学んだトレーニング論や運動生理学の詳細など、私が高校生の頃に知っておきたかったと思うことを惜しみなく伝えてきたつもりです。

学んだ知識をアウトプットする、そして選手達とディスカッションするコトで、我々の最適解を探していく作業はとても楽しかったコトを記憶しています。

また博士の2年生から本気でバスケを再開したくなり、クラブチーム強豪校のトライアウトを受けに行きました。

全国常連ということだけでなく、プロ選手がオフシーズンに汗を流すことで有名な当該クラブチーム。

クラブチームといえども練習はメチャクチャきつかったです。

そして後の東京五輪代表選手も属しており、とにかくレベルが高い。

そんなチームで本気でバスケに向き合える、それだけで幸せでした。

ベンチ入りも難しいくらいにレベルが高く(もちろんブランクがあったこともある)、大学以来に自身の身体と向き合おうという意識も芽生えました。

切磋琢磨したチームは、クラブ選抜で見事優勝。

名実ともに日本一になることができたのは、バスケを始めたときからの夢を達成した瞬間でもありました。

 

運営者の経歴〜ブログの立ち上げ〜

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このブログを立ち上げようと決意したのが修士課程在学中のことでした。

当時、別の研究室の先輩にいわゆる「ブログ飯」を食んでる方がいました。

その先輩は自身の経験を書くだけで家賃分を賄えているほどに稼いでいたとのこと。

そんな先輩に憧れを抱きつつ、記事を書きながら知識をアウトプットしていくことに何のためらいも感じませんでした。

東大に入るまで死ぬほど勉強して、最新の知見を学んできたことを考えたら、その知識自体に価値があることを疑っていなかったからです。

とりわけ運動生理学に関する知識については積極的に公開していきたいと思っていました。

そんなことから、運動生理学およびスポーツ栄養学の正しい知識を発信することで、間違ったダイエット方法・筋トレ方法を世の中から駆逐すること、それがこのブログの目標です。

それは今も変わっていません。

加えて、自身が置いてきた大学院生という立場の苦しさや、打開策についても経験を元にお伝えして行くことを使命と感じてもいます。

 

このブログの目標

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このブログは当面の間、ちまちま更新し続けます。

世の中の間違ったインフルエンサーを正すことは無理だとしても、当ブログから学んでくれる人が1人でもいる限り。

 

 

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